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「子どもの見取り」
――見るだけでなく、読み取って、受け止める

『教育ジャーナル Vol.13 2022年6月発行』より
教育ジャーナリスト 渡辺 研

視界には子どもたちの姿。にぎやかな声が聞こえる。でもそれだけでは「子どもを見る」ことにならない。
授業改善に伴って、より重視されるようになった「子どもの見取り」。
教師たちは、本当に学ぶ子どもの姿を見ながら、主体的・対話的で深い学びにもとづく授業を行っているのだろうか。
「子どもを見る」「子どもの見取り」とはどういうことなのか、元文部科学省主任視学官・嶋野道弘先生にお話を伺う。

いったい何があるのだろう

今年度も横浜市立鶴見小学校でスタートカリキュラムが公開され、嶋野道弘先生が協議会の講師を務められた。そこで、外遊びのさなか、遊具には目もくれず、花壇のそばに座り込んで、花壇の縁を歩くアリの行動を食い入るように見ていた子どもたちと交わした会話を紹介された。入学したての子どもたちにも学びの姿がある。そんなエピソードだった。
今回にかぎらず、嶋野先生はこうした機会には必ず子どもの姿を例に話をされる。ご存じの先生方も多いことだろう。

── 紹介される子どもたちの姿は、その場にいた教師や参観者も見ているはずです。にもかかわらず嶋野先生だけが目にとめ、もう一歩、子どもたちに近づけるのはどうしてなのでしょう。何か子どもから「見て、見て」とサインでも出ているのですか。

嶋野 それはね、子どもが一人で何かに没頭しているとか、数人でガヤガヤやっているとか、大勢がいつまでも集まっていれば、そこには必ず何かあるのですよ。だから行ってみる・・・

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